折り鶴親善大使〈報告〉
8/5〜8/11まで- シアトルにて -
シアトル在住平和活動家でWORLD PEACE PROJECT 代表 MICHIKO PUMPIAN
〈ミチコ パンピアン〉さんの招待でシアトルに行きました。
8/6にシアトル ピースパークでSADAKO像の修復式がありました。世界中から
祈りが書かれた5万羽を越える折り鶴と、募金が集まりこの善意がSADAKO像の
修復につながりました。私はこの式典で、出席された皆さんと善意を送ってくださった
一人一人の方に対して心からの謝意を申し上げました。
又忘れてならないのは、この場所にSADAKO像を建てられた、今は亡きシューモー
博士の献身的な奉仕が有ったことです。私はシアトルで初めてシューモー博士のお人柄にふれ、日本から持参した1000羽鶴をたむけ、改めて哀悼の意を表して参りました。
8/6 除幕前のSADAKO像
SADAKOと対面、感激、涙
写真提供 Michiko Pumpian ,Alex Pumpian
《シアトル紀行》

8/5
成田を午後1時頃立ちました。行きは偏西風の追い風に乗り、シアトルまで約7時間のフライトです、到着は同日午前10時、日付変更線の関係とは言え、とても奇妙な気持ちになりますね。空港にはホームステイ先の横田さんがわざわざ出迎えていただき、最初から日本の方だったのでとても安心しました。ステイ先はシアトル郊外の素晴らしい丘陵地に建つ邸宅でした。そこに向かう途中にあの「イチロー」のいるシアトルマリナーズの本拠地《セーフコ フィールド》が見えてきました、こどものようにとてもはしゃぎました、なんだかそこで日本人が活躍してると思うと感無量でした。私も別の意味で頑張らなければと思った訳なんです。

8/6 
朝から雨でした、聞いてみますとシアトルは1年の3分の1が雨で、そのために緑が多いいのだそうです。しかしこの夏の時期の雨は珍しいようでした。驚いたことに傘をさしている人が少ないのです、何故かというと、雨は多くてもすぐ上がるんだそうです、しかもからりとした気候のため濡れても乾きがすっごく早いんだそうです。
一番の心配は修復式にお出でになる方々の足元でした、だから私は神様に祈りました「せめて修復式の間は雨をとめてください」と、この強い思いは天に、そしてSADAKOに通じました。式の始まる頃に雨は止まったのでした。シアトルのSADAKOにもうすぐ会えるんだと思うとジワッと涙がにじんできました、そしてSADAKOもここに来ていました。私はSADAKOと共にみなさんに心から「ありがとうございました」と申し上げました。
本当にたくさんのマスコミの方にお越しいただき丁重に記事にしてくださいました事、この場を借りてお礼申し上げます。
夕方からはシアトル市民の一番お気に入り《グリーンレイク》での原爆死没者慰霊祭です。しかし、またもや大雨になりました。又私は祈りました。すると信じられないことが起こりました、式典が始まる頃に小降りになり、私がSADAKOの話をさせていただく頃には止んだのです。
いよいよ清籠流しです。私は「SADAKO'S PRAYER」....小さな平和と書きました。湖面には様々な思いが込められた灯籠が流され、まるでSADAKOが操ってるように色々な灯籠と湖面を漂い別れを惜しんでいました。私は父と母とおばあちゃんとSADAKOの魂を一緒に天に帰っていただきました。アメリカのシアトルでこんなにも盛大に毎年日本人の手によるのではなく、アメリカの人の手により主催され、今年が20年目だという事をお聞きして、今更ながらに驚き、とても荘厳な気持ちになり多くの方に心から感謝をし、これは報恩しなければいけないと決意を新たに致しました。

8/7
今日は「折り鶴親善大使」として「素顔のSADAKO」を語る初日です、シアトルにある日系一世の方たちの面倒を見る「KAWABE ハウス」というところでした。みなさんを見たとき、今の生活にとても満足しておいででだと直感しました。
もうほとんどの人が英語の方が理解されやすいのでは思いました。「時は人をも変える」とはこの事だと思いながら。。。
私が一節を朗読、次に英語で朗読するという手順を取りました。ここで初めてリンダさんという日系の方とアリーシャさん《ミチコ パンピアンさん長女》と競演しました、これは事前の打ち合わせはなかったのですが、聞く人の心をとらえました。やはり真実は必ず心を溶かすと思ったのです。。。が、その思いはほかの方も同じようでした。終わってから一人の男の日系ご老人とお話しする機会がありました、その方は戦中、戦後の日系人が受けた不当な扱いについて涙ぐみながら、一言一言かみしめるようにお話しなさいました。でも今は何事もなかったかのように社会にとけ込んでおられます、私はこんな方々の忍耐と寛容さによって今日の日米の絆と繁栄があることを気づかせていただきました。そして心から申し上げたい、いつまでも元気でいたください、私達は忘れませんと。。。。

次に「日系マナー」の会館でした。この時からアリーシャさんだけがパートナーとなりました、彼女はこどもの頃から演劇、歌などすごくエンターティナーで私の心が伝わり、尚更のことSADAKOを演じてくれました。みなさんの目から大粒の涙がこぼれ落ちました、私も完全にSADAKOと一体になり、嗚咽が上がるぐらいにSADAKOを感じました。
終わったとき顔立ちは日系ですが完全なるアメリカの女性の老人が、私に泣きながら言いました。「。。。してあなた方にアメリカは謝ったのか!」と。。。何度も何度も申し訳ないと言われるのです、私はこの方を抱き、「もう良いんですよ、天が決着をつけられたんですから、それより今後をご一緒に考えましょうね」と言い、いつまでも流れる涙をぬぐえませんでした。一人一人の思いの優しさを感じつつ異国の夜を感じていました。

8/8

今日はシアトルから約1時間、エベレッタの町に行きました。そこは大学のコミュニティの一部で、とても落ち着いた雰囲気のあるところでした。
感情移入とアリーシャさんとのコンビネーションがだんだん強くなっているのを感じていました、殊に若いアメリカの人たちが来てくれていましたので、果たしてどう感じてくれるだろうかと危惧していましたが最後にカップルが寄ってきてすごく感じるものがあったと言って自分たちの折った折り鶴を託してくださいました。
ここにシアトルタイムスの女性記者の方が非番だけども、どうしても聞きたかったと言って参加くださってました。そしてSADAKOは愛をもっている、私はこれからも取り組んでいきたいと、感想と決意を言ってくださった事は今後にとても意義深く、ありがたいことだと思わずにはいられませんでした

8/9

今日は快晴、とてもシアトルの町も輝いて見えました。
シアトルのとなり、ベルビュウー市の「市立図書館」でした。ほとんどがアメリカの人でした、私の席の前に母親と女の子二人が座っていらっしゃいました。話が進んで来てからは目を真っ赤にし、涙を拭きながら聞いてくださいました、会場のあちこちから体のふるえが伝わってきました。今日もSADAKOが来ているなーと思いつつ、話しながら私も涙か止まりませんでした。
SADAKO、君が来てくれていたから君の魂が伝わったよ!。。。万雷の拍手の音にはっと我に返りました。来て良かった、本当に来て良かったと。。。
ご招待くださったミチコ パンピアンさん、気軽にホームスティをさせていただいた横田さん、そしてサポートしてくださった家族のみなさん、大きな使命を果たすことが出来ました、そして感動をいただくことが出来ました。ここで心から感謝をお伝えし、お礼を申し上げます。

8/10

あっという間の一週間でした、この美しい町に別れを告げる悲しさや虚しさがこみ上げてきました。しかしそれ以上に私を感動し驚かされたクライマックスが演出してありました。
それは空港にわざわざSADAKO像を制作した「デリル スミス」さんの奥様がお出でになった事です。そしてスミスさんのお母さんがとても大切にしていた、たった一つのSADAKOレプリカを私にプレゼントしてくださったのです。もうなんと言って良いのやら、ただただ奥様に抱きついて涙しお礼を申し上げる以外にありませんでした。そしてもう一つ奥様のキッスを頂戴致しました、このときばかりはアメリカの風習に心から感謝致しました。身を七重八重に折りたたんで心からお礼申し上げます

最後にもう一つ嬉しいどんでん返しをいただきました。
ユナイテッド航空からシアトルご苦労様でしたと、ファーストクラスのシートを用意されたことです、いやいやこれには二度びっくりでした。SADAKOが「兄ちゃん、ご苦労さん、くたびれたでしょう」
と言ってる声を聞きながらこの
深々としたシートに疲れた身を託し眠りにつきました。
ユナイテッド航空のみなさん、SADAKOと共にお礼を申し上げます。
そして「椿 神社」のアメリカ人神主さん、まさかシアトルで祝詞を聞くとは思いませんでした、神聖な気持ちをいただきましたこと、ありがとうございました。そしていつまでもSADAKOの事よろしくお願い致します。
又会場の手配や、陰でサポートして下さったみなさん、どうぞ御身に幸多からん事をお祈り申し上げております。

                      SADAKOの兄       佐々木 雅弘