想いやりは、みんなの心   色別に「SADAKOねがいづる」の意味を統一します


もっと心得ましょう・・・想いやりの心      




思い起こしますと、禎子(さだこ)の人生は一体何だったのかと思います。
今になってみれば、12年間の短い、辛いだけの人生でしたが、神様から大きな使命が与えられていた事が良く解ります。
しかし、そうであったとしても、両親が何にもしてやれなかったと悔やみながら過ごしていた日々に心を廻らせてみますと、本当に苦しく悲しかったであろう、悔しかったであろうと察してあげる以外にないのです。

禎子は自分の死を十分に予感していながら、極端にお金に困っている経済的環境、自分の痛みを毎日味わう肉体的苦痛、自分一人でじっと我慢しなければならない精神的忍耐を耐え続けました。
両親は強い懺悔を持ったまま、良心の呵責にさいなまれながら生涯を閉じました。
親が我が子に対してかける愛情の深さと量は、何にも替えがたいと言う事はありますが、禎子はその両親の傷める心を何倍も超えて気配り、心配りをめぐらしました。
痛くて動きにくい指で、来る日も来る日も折り鶴を折り続けたのです。
その願いはとても単純でした・・・借金が早くなくなりますように・・・早く家に帰れますように・・・中学校に行けますように・・・とほんのわずかな望みに希望を託し、折り続けたのです。

この心掛けと行為は、極限の苦痛を受け入れることを決断し、自分に、その実行を課した禎子自身が、人間の領域を超えたのです。そうでなければ、13歳の少女が我慢できるはずはありませんでした。

自分の全ての苦痛を主治医や看護師、家族にも隠し通した、その心掛けこそが・・・「想いやり」の心でした。

「想いやりの」心の原点とは・・・「私よりあなた」・・・「You rather than Me」 「You before Me」