2004年11月20日から29日まで【折り鶴親善大使】として、
  オーストリアへ平和巡礼に行ってきました。ご招待下さった
  「ミッターエッカーさん」ご夫妻に心から感謝を申し上げます。
   
   
   オーストリアの自然に町と人がとけ込み、こんなにも優雅に日が送れることを、    
   これほどうらやましいと思ったことはありませんでした。
   そんな想いをここに、追記していきます。


   11月20日(土)に福岡を発ち、成田発11時35分、オーストリアエアラインで
   一路オーストリアに向けて飛び立ちました。「当機の目的地までの所要時間は
   おおむね13時間を予定してます」との案内が機長からアナウンスがなされまし
   た。いつもの通りですが姿の見えない機長ですが、声だけで凄くかっこいい
   男性を想像してしまうのは私だけでは無いと想いながら、苦笑してました。
   真っ赤なコスチュームに身を包んだ客室乗務員(キャビン アテンダント)さん、
   割と年増なかたが多く安心しました。(意味不明)その中に3人の日本の方が、
   居られたことでなをこころ強い思いがしました。さらに息子と愚妻が一緒だった
   ことが不安を消してくれたことのは言うまでも有りませんでした。
   
   
   往距離は9242キロメートル、高度一万メートルを日本海、沿海州ハバロフスク
   から広大な未開の白い絨毯シベリアを通過、モンゴルのウランバートル上空、
   そしてモスコアをかすめミンスクからヘルシンキ、スウェ−デン上空を通り
   デンマークをかすめユーラシア大陸を南下、ウイーンに入りました。
   空から眺めるオーストリアの風景は、深い森と濃い緑、白い壁にとんがり屋根と
   今までお目にかかった事のない、歴史の重みを感じさせるにふさわしい、予兆を
   与えるものでした。

   2005年11月20日昼過ぎウイーン国際空港に到着致しました。物珍しさも手伝
   ってきょろきょろしてみましたが、ほとんど東洋人、とりわけ日本人に出会いませ
   んでした。到着口には今回の主催者ミッターエッカーさんご夫妻が出迎えておられ
   ちぎれんばかりに手を振って頂き、5月以来の再会の喜びを分かち合いました。

   通関や出口にとまどって4時過ぎに宿となる修道院に向かいました。いかなる
   理由かは分かりませんが、空港を出る頃には外はしっぽくの暗闇でした。何て
   夜が早いのだ?と思いつつも、鼻に油くさい臭いがとりつく、眼前に無数の炎と
   光のオブジェ。。。ここがオーストリア最大のオイルエリアだと言われ納得。

   しばらくすると古い町並みが目に飛び込んできました。近付くにつれそれが
   歴史の息吹をたっぷりと吸い込んだ建物だと理解できました。見るもの全てが
   重厚で新鮮に映りました。町はほとんどの場所がライトアップされて、初めて
   訪れる田舎ものの興味を否が応でもそそりたてました。やがて車は一段と
   ライトアップされた場所へ。。。運転手さんの粋な計らいなのか、そこはもう
   13世紀にタイムスリップしたような宮殿が目の前に有りました。妻と息子の口が
   開いたまま!わー綺麗!わー綺麗!わー綺麗!の連発、でも感激の余りに
   写真に納めることを忘れてた、残念〜ん!
  
   そんな感激を乗せてウイーンの町並みを通り抜け、やがて今夜からの宿になる
   修道院に到着しました。この地区はウイーンの北部地区、グリンチィンと言い
   高級住宅街の一角にある小高い丘で、遠くウイーン中心部の夜景がキラキラト
   輝いて別世界に居ることを改めて認識させてくれました。                

   【20日夜】

   着くやいなや、ウイーンで発売される「SADAKO物語」の本にサインをして
   それから歓迎パーティーニ招待となった。すごく風が強く体感した事のない強い
   冷えは体の芯まで冷え切ってしまう寒さの中、修道院からもう少し上の丘にある
   5星レストランニ向かいました。当地の名物料理「マルティーンガンス」をご馳走
   になるとのこと、とても楽しみでした。ガンスとは鳥という意味だそうで、平たく言
   えば、「ガチョウ」料理 のこと、周りを見回すとみんなその料理がテーブルを占め
   ていました。感心したのはオーストリアの国はお年寄りを必ず連れてきてる事、
   とっても大切に扱われていること、今私たちが忘れかけている事に警告を受けた
   思いでした。

ウイ−ン紀行
   
   【第一夜】
   異国での第一夜は教会の中という初めての体験で興味津々でした。外の寒さ       
   とは打って変わり、とても過ごしやすく思いました。暖はパイプにお湯を通してる
   古い型の物でした。ただ外国だなと思ったのはバスタブがなくシャワーであると
   言う事で風呂に入れないと思いました。
 
   
   11月21日
   朝食は神父さん達とご一緒でした。手作りのパンに手作りのジャム、そして搾り
   たてのミルク、それにこの教会を守っておられる<SHUBO サーボ>神父さんの     
   敬虔(けいけん)なお祈りの後、とても美味しくいただきました。食後この教会の
   中を案内下さいました。教会の名前は<マリア シュメルチュン>(マリアの痛み)
   と言い、歴代の神父さんが眠られる地下墓地や古書倉等、普段見せていただけ
   ない所まで案内下さいました。ブドウ畑に囲まれた小高い丘に有る古城と言った
   感じでした。
 
   
   11月22日
   午後からウイ−ンの中央図書館のホールで、第一回(禎子)朗読劇を開催しました。
   ミッターエッカーさんご夫妻のパフォーマンスと交互にしましたが、私の横には
   禎子が来ていました。とても感情が入り、ユウジのBGMとあいまって現地の
   子ども達の心に入り込んで行く事が出来ました。
   劇終了後、子ども達から素朴な質問を受けました。印象に残ったのはこの質問
   でした<原爆はどこの国が落としたのですか>
   私はこう答えました、イヤ禎子がこう答えさせたのです。
   『原爆が炸裂してもう60年が過ぎようとしています、どこの国が落としたのか、
   もう忘れてしまいました。長い時間を掛けて神様が相手を憎む心を持たないように
   忘れさせてくださいました。日本には(罪を憎んで人を憎まず)と言うことわざが
   あります。
   過去の事はしっかりとお互いに反省し、未来に向けて、どのように手を携えて行く
   かが大切です。その第一歩が禎子が命をかけて残した(思いやり)の心を
   みなさんとつなげる事です!』と。。。
   昼食をご馳走下さった、図書館長さんが質問されました。
   <あなたが子ども達の質問にどのように答える非常に関心を持って聞いて
   おりましたが、あんな答え方も有るんだと感心し感動しました>と。。。

   夜ユウジが日本にFAXを送ろうと店を探して入ったのですが、現地ではそう言う
   店はとてもうさんくさいのだと、後で聞かされました。でも危険でもないし何事も
   体験だと強がりを言ってましたよ。。。。

 
   
   11月23日
   今日は午前中サーボ神父さんが、その他の支配化教会を案内してくださいました。
   昼食はその各教会の神父さんが集まってご馳走してくださる事になりました。
   尼僧院ではないので女性の方は一人も居られません、全て神父さんたちの手作り
   でした。オーストリアでは必ず食前酒が出るのです。だからかどうかは判りませんが  
   そのまま運転しても飲酒運転にはならないのだそうです。これには少し驚きました。

   午後から児童文学館ホールで第二回目の朗読劇を行いました。ユウジと現地の
   <ユーボート>と言うミュージシャンとのコラボレーションもうまく連携も取れ気持ち
   良く終わる事が出来ました。
   ミッターエッカーさん達が禎子を忘れないようにと、その会場の許可を頂いて、写真
   と折り鶴を飾った小さなモニュメントを造ってくださいました。子ども達もとても関心を
   もって見ていました。
   夕食をまたご馳走になりました。当地では有名店だとのこと、メニューを進められる
   ままサラダととんかつをオーダーしました。出てきてびっくり、わらじのような大きな
   とんかつで、必死で食べたのは言うまでも有りません。不思議な事にウイ−ンには
   ステーキがないのです、理由はわかりません。今度行った時には是非聞いてみたい  
   と思います。
   日が暮れて雨になりだしました、近くに有名な美術館があるというので、行って見る
   事にしました。1800から1900年代のウイ−ンの画家(クリンプト)の絵が有名
   でした。なんでも当時の上流階級が好んで描いてもらったという、いわくのある
   人だと聞かされました。
   美術館を出る頃には大雨に変わりました。お腹も空いたし、ミッターエッカ−ご夫妻
   ともお別れしましたので30分ぐらい迷いながら歩いて、市の中心地のスーパー
   にたどり着きました。閉店間際でしたので急いで食べ物を買い入れてタクシーに乗り
   修道院に帰りました。帰り道タクシーの運転手さんが、有名な建築物を見せて上げ
   ましょうとと言ったのでお願いしたら、市のゴミ焼却場らしく、でも有名建築家の手に
   よるもので、それはおよそそれらしくないおとぎの国のお城のようでした。感心して
   返りついてタクシー料金の高いのにも驚きました。あくる日ぼられた事を知らされ
   ました。どこの国にも悪い人は居るもんだと思いました。これも経験ですね。。。
   
   
   11月24日
   午前中、ウイ−ンからの少し郊外の<ギムナジュ−ム>の学校で第三回の朗読劇
   を開催しました。一年から八年生までの学校で、大人のような子どもにもびっくり
   しました。ここにも禎子モニュメントを飾る事が出来ました。ほとんどの子どもが禎子
   を知っている事にとても嬉しい思いをしました。
   午後から列車で古都ザルツブルグへ4時間半の汽車の旅、車窓から見える景色は
   雄大で、おとぎの国を行ってるような錯覚に落ちました。ザルツブルグに着いて驚い
   たのはライトアップされたお城の美しさ、筆舌に尽くしがたいとはまさにこの事、
   こんな所に住んで毎日歴史有るお城を眺められるなんて超うらやましーとみんなで
   目を丸くし言ってました。


   11月25日
   ホテルから10分位の所、ザルツブルグ城の下に有る学校に第四回目の公演を
   しました。この学校は、人種の混ざった学校でとても行儀が悪いので、過去の行事
   で騒いだり、ガムをはいたり、そのような事をするかもしれませんのでとの注意が
   ありました。
   でも実際に始まって見ると誰一人そのような行動を取るものもなく、本当に静かに   
   聞いてくれました。先生もびっくりされていました。もう一つ私たちを感動さたのは
   帰り際その生徒達が私たちの前でフォークダンスを披露してくれた事でした。
   これには先生もこんなこと今までした事がないのにと感激しておられました。
   ここにも禎子モニュメントを飾る事が出来ました。

   夕方から車でアルプスの麓の町、ザンクトヨハンのホテルに移動しました。ライト
   アップされた教会とホテルと町並み、小さなホテルでしたがオーナー奥様さまが 
   チロルの衣装で出迎えしまい、それだけでこの町の人情を感じました。
   ただ残念だったのは、その方との写真が撮れなかったことでした。残念!!
   
  
   
   11月26日
   ザンクトヨハンの朝があけました。目の前に雪をかぶった本物のアルプス連峰が
   見えました。ホテルから5分の所にその学校はありました。玄関や教室からは
   雄大な美しいアルプスを眺望でき、とても心が洗われ気持ちが癒されるのがわか
   りました。玄関に入ると吹き抜けのホールには子ども達が心を込めて折った一杯の   
   折り鶴が吊り下がっており、遠く日本から来た私達を歓迎してくださいました。
   公演も本当に静かにしっかりと聞いていただき、言葉は解からずとも心は伝わる
   事を確信しました。ここにも禎子モニュメントを飾ってくださり、そしてこれからも
   永久に保存して行く事を約束してくださいました。
   いよいよお別れの時、そのモニュメントの前で子ども達が合唱してくれました。
   それは日本で聞いたあのウイ−ン少年合唱団のその声と寸分違わぬ声でした。
   本当に心から感動し涙があふれてきました。純朴な子ども達は姿が見えなくなる
   まで教室から校庭から手を振りつづけてくれました。
   夕方、そこの学校の先生が車でザルツブルグまで送ってくださいました。
   本当に心からの歓迎に厚くお礼を申し述べます。

   
   
   11月27日
   ウイ−ンに戻り、日中はあのハプスブルグ家の王宮をゆっくり見物しました。
   マリーアントワネットの母、マリアテレジアの暮らしぶりや調度品等等見学し、      
   歴史の重みと王室の意外に質素な生活ぶりや、常に国民を思いやられた歴史
   を学ぶ事が出来、貴重な体験をさせていただく事が出来ました。
   夕方からは、早めのクリスマスを祝う、イルミネーションが美しい市庁舎で
   露天を回りながらウイ−ン市民に溶け込みながら、この夜を堪能させて
   いただきました。
   
   
   11月28日
   最後の日、ご招待頂いたミッターエッカーさんご夫妻と市内観光をご一緒し、
   市電で別の王宮にも行きました。何せスケールが大きく、何もかも圧倒され
   続けました。夕方にはオーストリアで一番古い教会に行き、荘厳な雰囲気の
   中、敬虔(けいけん)な信者の様にお祈りをしてきました。
   帰り際ミッターエッカーさんが馬車に乗せてくださいました。市内の目抜き
   通りを周る20分のコースでしたが、王族の気分が味わえましたよ!
   後で料金を馬主さんに聞いて見ましたら40ユーロ−(約5000円)でした。
   何もかもミッターエッカーさんご夫妻にお世話になりました。
   私と家内とユウジはこのご恩を忘れません!
   オーストリアと日本の掛け橋になる事を誓い!
   心から感謝をお伝えしたいと思います。
   最後になりましたが、気持ち良く泊めていただき食事までご馳走になった        
   サーボ神父さん、その他の神父さん、BGMをお手伝い下さった
   ウーボートの方々、公演を後押し下さった先生、市の関係者の皆様に
   心から感謝とお礼を申し上げます。
   
   又お会いする日を楽しみに致しております。みなさんお元気で!!

     SADAKOの兄 雅弘(Masahiro) ヤエ子(Yaeko) 祐滋(Yuji)


 禎子と家族と初めてのヨーロッパ